私たちが大切にするべきものは何だろう? 大切にするってどういうこと? 日々を綴る中で、片鱗に触れられたら幸せです。

今になって…

教員を辞めて始めて気づき始めたのです。

どれだけ学校というシステムが素晴らしいのか。同じような環境を作り出すことが如何に簡単ではないか。

きちんと設備やスタッフが整えられて、明日の運営が保証されているのです。全国民が託した税金で、子どもが学ぶ権利を保障しているのです。子どもは明日学校がなくなるなんて、行く場所がなくなるなんて不安なく、毎日過ごすことができるのです。一人では学べない知識を、仲間と学ぶことができるのです。
どんな子も学べるよう、どんな僻地でも学べるよう、たくさんの方が尽力し、築き上げ、維持してきた社会システムなのです。一人の思いだけで作り上げられる代物ものではないのです。

学校が、戦争に勝つための国民を育てる場であった時代もありました。でも今は、金銭価値には変えられない、かけがえのない一人一人の子がより良く生きるための営みの場として、存在しているのです。

だから教員はこうあるべき…というのは次の段階の話で、まずはそういうすでに出来上がったシステムの上で働けるということがまずすごいことなのです。
日本の宝である子どもの成長に、たった一場面でも携わることができるというだけで有難いことなのです。
その上にお給料まで頂けるのですから。

私は、ちっぽけな半人前教師であるにも関わらず、自分の力で生徒を成長させると思い込んでいたおバカさんだったのです。

⚪︎⚪︎だったらもっといいのに…
学校組織は…教員は…

自分の力がいかに小さいか知らないで、もっと良くするにはどうしたらいいか、もっともっと自分にできることを…と、ばかり考えていました。今教えるべき内容や目の前にいるかけがえのない生徒がいかに尊いかわからず、蔑ろにしていました。
彼らはすでに全ての可能性を持っていました。そして彼何千万人もいる子どもの中で彼らと出会える奇跡。
今、家を拠点に生活していて、彼らとイキイキと働いた時間を再現することは未だありません。大変だったけれど、実に幸せな時間でした。

でも、私は自分は役に立たない…という自明のことに悩み、貴重な時間と心を費やしていたのでした。

その時、出会いと時間に感謝して自分自身が幸せで満ちていたなら、もっと違ったかもしれません。

でも、安定した職場を手放したことでわかったのです。
どれだけ学校で働くということが恵まれていたのか。


ただ、自分の選択や思いが間違っているわけではなく、一種の甘えがあるということに気づいたわけであり、悲嘆するのではなく、積極的に人生を生きていきたいと思う今日なのでありました。