経済と道徳のかけ算
NHK NEWS WEB 6月12日
障害者就労事業で不正請求5億円余
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140612/t10015178181000.html
こういうニュースを見ると、他人事と思えない。
社会的弱者の支援というものは、実に微妙なバランスの上に成り立っている。いろんな人のいろんな思惑が入り交じる。支援する立場もされる立場も、生身の人間である以上、色んなクセのようなものがおもむろに出てくる。そういうものって、大なり小なり人間関係につきものなのだけど、ややこしいのは絶対的に力の差があるからだと思う。影響力の差、権力の差、発言力の差…言い方は様々であるが、どちらの立場をも尊重するためには、絶対調整していかなきゃいけないのだ。
自分自身もボランティアというか人助け(?)なるものをかじってきた中で、色んな思いが巡り、いつの間にか自己中心的な欲求にすり替わっていることが多い。
例えば…
役に立ちたい。
ー必要ないと感じた途端にやる気が失せる。
感謝されたい。
ー感謝の言葉がないとメゲる。
いいことやっていると思いたい。
ー惨めさや困っている状況を強調しちゃったりする
相応の収入が欲しい。
ーこれがないと長期的に見て難しいでしょ?
大学時代に福祉系のサークルを担っていたときは、常に落ち着かない自分がいた。当時、24時間支援が必要な女性の自立生活を手伝っていた。学生数人でシフトに入るのだけど、介助者不足の嵐だった。彼女と上手に協力して運営できたらよかったのだけど、先方も色々言い分があるさ、人間だもの。
私にはやめるという選択肢があった。貴重な大学生活もっと遊びたいというのが、本音だった。
彼女が自己決定の生き方を選ぶには支援者が必要だったから、やめるということは、家族や施設に依存して生きるということだった。決してそれらが悪いわけではないけれど、圧倒的に私より生き方の選択肢は限られていた。
今思えば、彼女の立場を考えて付き合うことなんてほとんどなくて、自分の見返りを求めてばっかりだったなぁと思う。自分なりに利用していた感が拭えない。
今回のニュースは、それがビジネスになるとこうなるのかという気がする。新手の貧困ビジネスだ!と叩くのはいいけれど、メディアはそれ以上は追求しない。じゃあ、これから誰がどう担っていくの?と問うた瞬間、社会の一人一人の問題になるよね。そこにはもう一つの敵ー自分は手を出さないで不正受給の非難だけする人、がいる。
どんどん大きくなる福祉、厚生労働の問題。受け止められるだけ、私は、今の日本は、成熟しているのだろうか。
心に留めたい言葉がある。
「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は戯言である。」