ハウツー物デビュー
今日出勤したら、職場の人から言付けがあった。私になかなか会えないから…と、同じ学年の先生に伝えてくれたそうだ。
おぅ…急に不安になった。
というのは、6月に私が大きなミスをした仕事と同じ類いの案件。次も失敗するんじゃないかという不安と、言付けを頼んだ人も、私を信用しきれないのだろうという思い。
前回のミスは、関係者のやり取りがうまく行かず、取引先の求めていた形ではない形で納品してしまったり、商品が紛失したり、とにかく全体像が見えないまま仕事をしていたため、取りこぼしが多すぎた。
要は、私が仕事の理解、整理をできていないのだった。
次回同じ失敗を繰り返すわけにはいかない…、がどう前回の反省をいかせばよいかわからない。だって具体的にどうすればいいかわからないんだもの。
一個ずつ「私は何をすればいいですか」と指示を仰ぐのもアホです。考えて動けないなら、バイトでもいいわけです。一応正規の教員なんだから、仕事に対する責任はある。
…こわい。
気晴らしして解消できる不安ではない。
そして、本屋に行った。
ビジネス書コーナーで2時間ねばり、一冊を手にした。
棚に返しては手に取り、棚に返しては…を繰り返し、
とうとう2冊をレジに持っていった。
革命!
ハウツー物にアレルギーを示していた私が、それに3000円払うなんて。
今まで苦手だったのは、仕事の段取りが悪い自分を認められなかったからだと思う。認めたら、自分に価値がないと思うのが怖かったから。仕事ができるできないで人間を評価するなんて、ナンセンスだと思っていた。
その考え方は、今も変わらない…けど、仕事ができるできないが問題なのは、生きやすさにつながるからなのだと、今さら実感したのだった。
如何に、今までの自分が高慢だったか…。
背が低い人が普通に手を伸ばしても棚の上の物は取れないけれど、台に乗ったら取れますよ、と同じことなのだ。
独学で英語習得が難しい人が英語塾に行くのと同じように、仕事がスムーズにできないと思ったら、段取りの解説をハウツー本にしてもらえばいいのだ。
いやぁ、仕事は自分の努力でカバーできるものと過信してましたよ。
仕事が苦手な自分は、努力できないダメな自分なのではなく、仕事のコツを知らない人なのだと捉えればよかったのね。
苦手なことを受け止めて、対処するなんてことは、世の中の人は当たり前にしていることだろうが、(中には私のようにアレルギーを持っている人もいるかもしれないけど)、私にとっては目から鱗だった。
幸か不幸か、今まで勉強は学校の授業で間に合っていた…から、お金をかけて塾に行く発想がなかったのだ。要は自分の中で「勉強=努力」だと思っていた。
そりゃ、「勉強=努力」だと思う人が勉強が苦手だったら泣きますよ。人格否定ですから。
勉強だって、仕事だって、整理整頓だって、料理だって、スポーツだって、ある程度はコツ或いはセンスなんですね。
勉強になりました。
そして、生きづらさが少し解消されました。
今日一日に感謝します。