私たちが大切にするべきものは何だろう? 大切にするってどういうこと? 日々を綴る中で、片鱗に触れられたら幸せです。

インクルーシブ教育と価値基準と

世界はキーワードに溢れています。色んな考え方があって、色んな取り組みがあります。

かつて、私は「インクルーシブ教育」という言葉が苦手でした。

インクルーシブ教育とは、文部科学省によると…

障害者の権利に関する条約第24条によれば、「インクルーシブ教育システム」(inclusive education system、署名時仮訳:包容する教育制度)とは、人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みであり、障害のある者が「general education system」(署名時仮訳:教育制度一般)から排除されないこと、自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること、個人に必要な「合理的配慮」が提供される等が必要とされている。

なんだか難解ですが、私は、

障害がある児童生徒でも、必要な支援を受けながら教育を受け、自分の力を最大限伸ばす権利がある。

ということだと解釈しています。

今、なぜ苦手だったかと考えると、インクルーシブ教育が強調されればされるほど、教員のモラルが問われて、自分が適切な関わり方ができていないのではないかと不安になっていたからでした。

単純に知的障害とされる児童生徒が、通常学級で学んだ方が良いかどうかを考えた時、全てがケースバイケースなのです。なぜなら、学習内容や児童の特徴、学級の雰囲気、保護者の思い…色々な要素が絡んでいるからです。そのような場面で、インクルーシブ教育が大事だ、というのは違和感がある。問答無用で、障害者は別の環境で学ぶべき、或いは一緒に過ごさなければいけない、などと決めつけている場合、一人一人の学習権を尊重するという議論が成り立ちます。しかし、子どものために一生懸命対応を考えている先生に求めるものではないのでしょうか。
インクルーシブ教育は、子どもの学習権を尊重する態度がその基盤にあるのであって形態ではないのです。一対一で勉強した方がよいのか、友達と一緒に過ごす時間を大切にするのか、全体的な学校生活のバランスと個々の状況に向き合って具体的に対処していく態度だと思います。

このようなキーワードが出る以前も、一人一人に向き合ってこられた素晴らしい先生はたくさんいます。

インクルーシブ教育が大事と言われると、何でも真面目に受け止めすぎる私は、日々の授業がインクルーシブではないと言われている気がしました。
今思えば、心の捉え方次第だと思うのですが、どちらかというと、教育予算や教員配置、学校体制を決める方や或いは障害ある児童生徒に関わりのない先生方に知ってもらいたい概念だと思います。

今回、初めてインクルーシブ教育という言葉にまともに向き合えた気がします。
今までは、インクルーシブ…と聞くだけで耳も胸が痛くなっていました。自分の中でも、判断と感情をもって受け取っていたんだなぁと反省。

これがいい、というのではなく、一つの考え方、実践を知る。
冷静に社会に向き合い、自分の言葉で紡ぐ努力は大切ですね。