私たちが大切にするべきものは何だろう? 大切にするってどういうこと? 日々を綴る中で、片鱗に触れられたら幸せです。

伊勢と南伊勢に寄せて

地元で思い出創りをしたい。

好きになりたいのに、地元のこと、素直に好きと思えない。
ダサい、寂しい、何もない…なんて卑屈になってるところが、昔の自分に似てる。
で、客観的な魅力を探したり、外から人が来てくれることを望んだり、過疎をなんとかしなきゃという問題思考に陥ったりする。

答えは、住んでいる人の心の中にある。どれだけ満たされて生活しているか。地元に誇りを持っているか。愛しているか。
南伊勢で素敵な人たちに出会って、素直にそう思えた。この人たちは何かしてやろうという思い以上に、純粋に南伊勢を好きで暮らしている。この地で何ができるか、どんな特色があるかは、後からついてくる。

「地元を愛してるか??」を考えた時、私にとってキーワードは思い出である気がした。

地元を思うとき、大好きな人と過ごした楽しい思い出で満たしたい。形にこだわらなくていいんだ、お互いを丸ごと受け止めてバカ笑いする時間で充したい。

そうやって丸ごと地元を受け入れることも、自分を丸ごと受け入れることだと思うんだ。


伊勢で過ごした過去の思い出はちょっぴり寂しい。寂しさを握りしめる生き方もセンチメンタルで格好いいけど、もっと嬉しく楽しい思い出で満たしてあげてもいいかもね。

旧南島町も、私の中でなんとなく寂しい。それは、大好きなおばあちゃんたちに対する罪悪感みたいなもの。畑も手伝ってあげたい。ご飯も作ってあげたい。昔から住んでいる家を残したい…そんな思いと重なって、過疎だ医療だなんだ、わーわー叫んでいた私。

でもいい加減「南島がかわいそう」志向を手放そうよ。自分が南島を好きなんだって、素直に言おうよ。移住したってしなくたって、南島町を好きでいれば、それを住んでいるおばあちゃんたちと分かり合えたら十分じゃないか。

そうしたら、思い出創りをしたいと思った。

瓦屋根の軒並み、ちょっぴりくねった田舎道、青い空、磯の香り、波のせせらぎ、浜で拾った貝殻、遠くに見える阿曽大橋、のんびりした田舎の空気、おばあちゃんの姿…。

いつ行っても変わらず待っている南島の風景。そこに私の楽しい記憶や愛しい思いが重なって情景になる。

あまり覚えていないけど、子どもの頃近所のおばあちゃんがよく散歩に連れて行ってくれた。

心の中に大人の声が聞こえるようになってから、私の中で南島は過疎の町になった。山奥で不便で、お土産ものすらなくて、友達を連れて行くには恥ずかしいダサい田舎だった。

それから、ずっと捻れた片想いが続いている。

はたと、お母さんになって、子どもと手をつないで歩きたいと思った。
私も思い出のバトンをつなぎたいよ。手を引いて歩いてくれたおばあちゃんたちのように。

町を創るのは人の想い。想いが重なって町ができる。そこで暮らす人も、やっぱり想いの中で故郷というものを創り上げていく。私のホームタウンと胸を張って言える場所が、次世代の子どもたちにあるといいな。