支援から志縁へ
世界とつながる仕事がしたいと思っていた。
世界を笑顔にしたい。
貧困や紛争という惨禍に少しでも希望の光を灯したい。
大人になりかけた自分にとっての「社会」は、「グローバル社会」と同意義だった。
生まれた頃に冷戦崩壊、幼少期はバブル崩壊、小学、中学校時代は第三世界の台頭。日本ではサリン事件が取り沙汰された頃、「世の中はどこへ行くのかわからない」風潮が漂うていた。そして、リアルタイムにルワンダ内戦や同時多発テロのニュースが入ってくる。同時代とは思えないギャップを目の当たりにした。同時に、世界を舞台に日本人女性の緒方貞子さんや黒柳徹子さんが活躍していた時代。
あぁ、あたしはこの世界で働くんだ、と直感的に思っていた。
で、どうやったらその舞台で働けるか調べて、国際開発という働き方があることを知った。ただし、前線に行くにはキャリアを積まなければできないと思って、ない頭で一生懸命考えてきた。
私がどんな人間かも知らないまま、方法を追い求めて走ってきた。
ある時は、語学。
ある時は、模擬国連。
ある時は、NPOボランティア。
ある時は、バックパッカー。
ある時は、現地訪問。
ある時は、いつか専門的な経験を現地で活かせるように、と教員として働いた。
どうやったら世界に必要とされるだろう。
ふさわしい人間になれるだろう。
ずっと世界に片思いして。
今思えば、いつも世界は答えてくれていたのだけれど。素晴らしい人たちや文化に出会ってきたのだから。
だけどキャリアに乗っている間、「国際協力はかくあるべき」「教育とは…」という私の頭が、いつも「まだまだ」「もっともっと」と言い続けた。
そして、活躍している先輩や友人や、後輩までもが羨ましかった。
切ない切ない国際協力への片思い。
キャリアへの片思い。
そして今。
自分なりの何かがあって教員を辞めて、肩書きゼロになった。
キャリアを手離した今、理想の仕事に携わっている。
それは、
志同じくする人たちと築き上げる仕事であり、
世界とつながる仕事であり、
次世代に豊かな生き方をつなげる仕事であり、
何より自分が楽しみ、誇ることができる仕事。
社長が、「私たちは支援者、資金ではなく、志縁者、志金と言うの」と教えてくれた。
そうなんだ。
それぞれの志を持って、
出会う人や出来事を手繰りながら、
まっすぐ進んだ先に、
理想の仕事は待っている。
助ける人も助けられる人も決まっていない。貧しい人も豊かな人も、私の頭で決めなくてもいい。
仕事の形は後からついてくる。
今の私には、目の前の現実しかない。今、向き合う仕事に、出会う人に最大限力を注いでいくことしかない。
そんな思いで、ソーシャルビジネスセミナーに行ってきまーす!
今日は久しぶりにスーツを着て、受付嬢。電車に揺られて、溢れんばかりの陽の光を浴びている。