私たちが大切にするべきものは何だろう? 大切にするってどういうこと? 日々を綴る中で、片鱗に触れられたら幸せです。

お勤め信奉

この数日間の悶々とした感じは、お勤め信奉から抜け出せていない証拠ね。

会社や公共の場に自分の時間や労力を費やして、対価としてお給料をいただくという働き方、生き方。
これはbetterではあってもbestではなく、一つの生き方の手段だ。

商品やサービスを提供するという意味で人の役に立っているわけで、社会が自分の仕事を必要としてくれる、認めてくれる。それは双方にとってとても幸せなこと。いい仕事をすれば、いい報酬が入る。いい報酬が入れば、よりよい人生を送ることができる。この社会は何するにもお金が必要なのだから…。
そういうものだと信じている。
実際、両親の収入のおかげで私は衣食住に困ることなく、大学まで行かせてもらったし、自分の収入が世界の扉を開いてくれた。共働きで家事も子育てもこなしてきた親を尊敬している。
かわりに、昼間に外に出て働かないことが惰性に感じたり、収入がないことへの不安は殊の外大きい。

今の私が、直接的に人の役に立てることは、せいぜいご飯を作り、洗濯をし、掃除をして、留守番をすることくらい。少しでも両親の家事の負担を減らす程度だ。地元を開拓したり、下手なパンを作り続けたり…というのは、未来に対して時間を投資しているわけで、それが人様のお役に立つのか、自己満に終わるのか、今の時点ではわからない。だから時として不安になるし、空しくなる。

私って役に立っている?
私って必要?
常に存在価値を探している寂しがり屋、甘ったれぢゃ。

私なりのbetterが見えてくるといいね。