私たちが大切にするべきものは何だろう? 大切にするってどういうこと? 日々を綴る中で、片鱗に触れられたら幸せです。

マザーテレサの勘違い

ありがたいお言葉をいただいた。

マザーテレサは、貧しい人を助けていたわけではなかったんだよ、と

彼女は、向き合う人を素晴らしい存在として認め、祝福していたのだと。その中に神を見出し、喜びの中にご奉仕していたのだと。

そこに、
貧しさ=苦痛の方程式や、自己犠牲の概念はなかったのだと。

あっはっは〜。

私はずっと勘違いしていたよ。

勘違いしたまま、
マザーテレサの面影を追いかけて、
突っ走ってしまったよ。

私が世界の貧困をなくす一助になるのだと。

彼女は、
貧困のはびこる世界なんて、
悪の組織なんて、
とらえどころのないものと、
戦ってなどいなかったんだよ。

ただ、
今、ここで、目の前の人と、全力で生きていたんだよ。

彼女の無心の姿が、
彼女の意思を超えたところで、
たくさんの人の心の琴線に触れて、
大きなムーブメントになっただけのこと。

彼女が世界を変えようとはしたことはなかったのだよ。


中学時代に彼女の生き方にインスピレーションを受けて、

自分なりに学んでみて、
ニュースを追いかけてみて、
世界を歩いてみて、

今更ながらに気づいたことは、
私の頭で世界をくまなく理解することはできないのだなぁということ。

どんなにバックパック背負って歩いてみても、
70億人が形成する巨大な世界のすべてを理解することはできないのだと、今やっと心からわかった

でも、それは、経験させてもらって初めてわかったこと。

世界を歩いて、
社会で働いてわかったことは、
悪い人など一人もいないということ。

何かのすれ違いや、
価値観の違いがあるだけで、
誰も誰かを傷つけるために生きているわけではないのだと。

だから、理解するのをあきらめるわけではないということ。

世界、国、社会、地域、組織…

形ある物事を見て、
勝手にレッテルを貼らない。
勝手にあきらめない。

いいところを探す努力をあきらめない。

すべてになにか価値があること、
すべてが私になにか大切な事を教えてくれるということ、
それだけをただ信じて、
向き合い続けることしかないなぁと、思ったのでした。

だって、
どんな経験も出来事も、
私という人間を
成長させてくれる先生だから。

優しさに触れたとき、
いたらなさに触れたとき、
それは、すべて自分にむけてのメッセージ。


今、ここで、向き合う自分や相手や地域を丸ごと受け入れられるようになったとき、

ありのままの自分を、
ありのままの相手を、
ありのままの地域を、
ありのままの世界を認められたとき、

どんな側面にも、
痛みや物事の終わりでさえも、
なにか意味あること、
価値あること、
そこ素晴らしさを認められたとき、

そこで始めて、
私の世界は希望にあふれるのだということを知りました。

それでもなお、
知らず知らずのうちに、
「ダメだ」
「足りない」
「なくなった方がいいのに」
と価値を下げているものがあるらしいから、
それは、
ビーイングタッチやら、
マインドブロックバスターやら、
志ある人の作ってくださった手法のお世話になろう。


2014年は、
たくさんの思い込みをひっくり返す学びの多い年でした。

今の私は役に立てない。
だから、スキルを身につけなければいけない。

地元には何もない。
だから、人が集まる何かをつくらなければならない。

違うの。

出来るできないで、
自分の価値を決めなくていいの。

人がいるいないで、
地域の価値を決めなくていいの。

「過疎は、心の過疎だ」
という言葉がストンと腑に落ちたのだけれど、


ただ、持てるものの価値を知らなかっただけ。

あり余る豊かさを感じることができなかっただけ。

ありのままの豊かさを、
決して数字や形には表しきれない価値を、
受け取れる自分になったとき、
私の居場所は宝の山になりました。


本当に、出会ってくれた皆様、ありがとうございます。

勘違いに気づいて、
少しはマザーテレサに近づけたかなぁ。