私たちが大切にするべきものは何だろう? 大切にするってどういうこと? 日々を綴る中で、片鱗に触れられたら幸せです。

金と民主主義と



ナマケモノ倶楽部のHPにこんな文章が載っている。エクアドル環境学校に書かれた言葉。


人が最後の木を切ってしまった時
人が最後の川を汚してしまった時
人が最後の魚を食べてしまった時
その時! 人は気づくだろう、お金は食べられないということを


政治家のモラルが問われる今日ですね。
ニュースで報道されている失言、野次に対して憤りを感じます。言葉は氷山の一角、発言を撤回しても「最後は金」という真意が変わらなければ、解決しない、昨日はそう思っていました。

今日になって気づいたことは、「金で解決」主義はいい、ただし一人の意見としてであれば。それがルールであってはならないのです。
「金よりも故郷を返してくれ」と思う人もたくさんいるはずです。国民の痛切な声をなかった事にして、自ら起こした問題を国民から託された税金で解決する。こちらだって尻拭いのために税金を払っているのではない。
それは国民の代表として間違っていませんか。民主主義社会は、違う意見や立場を尊重して妥結点を探るプロセスこそが、その本質だからだと思うのです。

さらに言えば、政治のプロでない私がこのように発言することにも賛否両論あると思います。でも有権者の一人として、先人から委ねられた主権を行使するのは、選挙だけではない。きちんと国の政治に意見を持って表明していくことが、自分たちの政治や主権を守ることにつながるはずです。これだから政治家は…で済ませないことが大切だと思うのです。