私たちが大切にするべきものは何だろう? 大切にするってどういうこと? 日々を綴る中で、片鱗に触れられたら幸せです。

見習い8日目

職人の世界。

学校教育の世界。

全然違う文化なのだと痛感している。

頭でわかることと、目の前に繰り広がる現実に向き合うことは雲泥の差。今までの価値観がぐらぐら揺り動かされている。


学校で職業教育に携わっていた頃、社会に出たら報連相が大事だ!と思って、わからないことは何でも質問するように、確認するように生徒に伝えてきた。自分自身もそれが身に染みていたらしく、「教えてください!」「コツはなんですか?」「どうすればいいですか?」云々かんぬん。


違いを実感したのはここ最近。

最初は丁寧に教えてくれていた周りの皆様が、だんだん「…まぁ、大丈夫」という感じになってきた気がして、さすがに何かまずいぞ、と感じてきた。突っ立っていても邪魔なだけだから、一つでも手伝おうとすると空回り。


そりゃそうなのだ。

仕事のほとんどは言葉で伝え切れるものではなく、仕事場の空気に乗り、手や身体の感覚で動くという感じだろうか。他のスタッフがタイミングをつかむと一瞬で終わることが、私が手を出すと二度手間三度手間になる。確かにコツは教えてくれるが、私の体と他人の体は違うのだから、結局自分が働けるように組み立てて行くしかないのである。職人の世界では、技は見て盗め、というではないか。思えば最初、身を任せてやってみたら、と言われたのだけれど、私は仕事を理解するために分析したかった。とはいっても、私にいちいち説明する仕事は、パン屋のプログラムには入っていない。そんなところで、障害者を雇用するとか

発想がわかない感じがした。小さな個人経営だから普通に人を雇うのも大変なのだけど。


私が職業教育の立場にいた時は、どちらかというと生徒が自信を持ってできる仕事に重点をおいてやってきた。そのために環境を工夫したり、仕事の意義を説明したり、場合によっては実態に合わせて仕事内容も考えた。


一歩社会に出て「働く」となると、こうも違うのかぁ。突きつけられた感じ。


夏休みに、職場開拓なるものをしていた。求人広告を頼りに「実習させていただけませんか?」と会社に連絡するのだけど、話が進むのは一割あるかないか。その他の会社はそんな余裕ないんです、という感じだった。こちらとしてもそういうものだと思っていた。


今こうしてパン屋で働いてみて感じることは、畑の違いに多いに絶望しながらも、私が見てきた生徒にできる仕事はたくさんあると希望を持った。


問題はやり方なんだ、きっと。

今の職場で「障害ある人を雇って」と言ったらびっくりするかもしれないけど、私にできる仕事が増えてきたときに「友達のAくんに自分の仕事を手伝ってもらおうと思うから、誘ってもいいかな」と言ったら、オープンでフレンドリーな今の職場仲間なら「いいよ、いいよー。できたら長野でのんびりしていきなよー。」と言ってくれるに違いない。


よしゃ。

職人と教員、世界の見え方や生き方は違うかもしれないけど。

でもどこかに接点はある。

絶対に。